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〒652-0071 神戸市北区山田町下谷上字中一里山12-1【地図】
鵯越墓園管理事務所
078-621-5667(平日8時45分~17時30分)
鵯越合葬墓は鵯越墓園内にあります。
期間 | 開門時間 | 閉門時間 | ||||
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通常 | 3月1日~10月31日 | 7時00分 | 18時00分 | |||
11月1日~2月末日 | 7時00分 | 17時00分 | ||||
ゴールデンウィーク | 4月26日~5月7日 | 7時00分 | 18時00分 | |||
お盆 | 8月2日~8月18日 | 6時00分 | 19時00分 | |||
秋彼岸 | 9月13日~9月25日 | 6時00分 | 19時00分 | |||
年末年始 |
12月13、14日 12月27日~12月31日 |
7時00分 | 17時00分 | |||
元日 | 2026年1月1日 | 6時00分 | 17時00分 | |||
春彼岸 | 2026年3月7日~3月23日 | 6時00分 | 19時00分 |
開門時間 | 閉門時間 | |
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通常 | 9時00分 | 17時00分 |
ゴールデンウィーク、お盆、秋彼岸、年末年始、春彼岸 | 南門と同じ |
墓参に関係のない車両の通行を規制するため、北門に警備員を配置しています。
門前は一時停止とし、警備員が「墓参であるか」をおたずねします。(全門開門期間中を除く。)
なお、墓石建立工事等の工事用車両等が通行できるのは従来どおり、南門からのみです。
開門時間 | 閉門時間 | |
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通常 | 閉門 | |
ゴールデンウィーク、お盆、秋彼岸、年末年始、春彼岸 | 南門と同じ |
※通常時は閉門していますが、徒歩での通行は可能です。
期間 | ||||
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ゴールデンウィーク | 4月26日~5月6日 | |||
お盆 | 8月9日~8月17日 | |||
秋彼岸 | 9月20日~9月24日 | |||
年末年始 |
12月27日~2026年1月4日 |
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春彼岸 | 2026年3月18日~3月22日 |
※ 公共交通機関の時刻表は、2025年4月1日現在
※ 春彼岸の市バス臨時65系統は、終了しました。
神戸市営バス65系統、阪急バス150・158系統「鵯越駅前」停留所下車 徒歩約6分
神戸電鉄「鵯越」駅下車 徒歩約10分
市道夢野白川線を西方向(西神ニュータウン方面)に走行し、鵯トンネルを抜けて約1.0km先の右手側
市道夢野白川線を東方向(神戸駅・夢野方面)に走行し、丸山大橋を越えてすぐ左手側
神戸市営バス17・66・120系統「星和台南」停留所下車 徒歩約3分
阪急バス150・158系統「星和台口」停留所下車 徒歩約5分
市道長田箕谷線の「しあわせの村」交差点の東側
神戸市営バス17・66・120系統「市民防災総合センター」停留所下車 徒歩約5分
通常時は開門しておりません(歩行者は通行可)ので、南門または北門より来園してください。
鵯越とは、攝津の国(福原や兵庫方面)から藍那を経て播磨の国、三木方面へ出る古道の呼び名です。
1931年(昭和6年)から兵庫区御崎町、吉田町の墓地を移転するために、源義経の鵯越の戦跡として親しみを持たれている土地(当時の湊西区)に鵯越共葬墓地として1932年(昭和7年)3月に創設され、1946年(昭和21年)に湊西区から神戸市に引き継がれました。面積6.6haで、墓地の頂上には1932年(昭和7年)12月に開眼式をおこなった大仏(高さ11.7m、鉄筋コンクリート製)と鐘楼があります。(このエリアは、旧墓地地区と呼んでいます)
鵯越大仏(旧墓地)
1963年(昭和38年)からは、背山総合開発並びに都市計画事業の一環として、市街地の環境整備と跡地の高度利用のため、自然公園的な近代墓地として整備に着手しました。
旧墓地を含めて面積は207.6ha、墓所使用数は約5万4000区画あり、毎年墓地使用者を募集しています。多様化する市民ニーズに対応するため、1997年度(平成9年度)から1999年度(平成11年度)には新規格型墓地(多段壁面型墓地、約450基)の募集を行い、2018年度(平成30年度)には合葬式墓地(鵯越合葬墓)を開設しました。
墓園からの展望は、南と西に大きく開け、播州平野はもちろん、遠く紀淡海峡が望まれます。墓園内には源義経伝承を残す場所が3箇所あり、南門付近の市道夢野白川線(旧西神戸有料道路)の植え込みに「史跡 鵯越の碑」が建っています。
史跡 鵯越の碑(南門付近)
源平合戦のときに、このあたりから義経が一の谷へ攻め入ったと伝えられています。また、墓園内の高尾地蔵院境内には、義経が鵯越進軍の途中ここで休憩し、境内の松に馬をつないだと言われる「義経 馬つなぎの松跡」があります。今は枯れてしまって根の部分しか残っていませんが、「義経馬つなぎ之松」の案内板が建っています。
馬つなぎの松(高尾地蔵院境内)
さらに、風化した岩が複雑な形となって、数匹の大蛙と多くの小蛙のように見える奇勝「蛙岩(かえるいわ)」があり、義経が平家を攻めた「鵯越から西進し坂落し」の場所が、須磨の一の谷でなく、この蛙岩という説もあります。
蛙岩(新芝生地区)
鵯越墓園の史跡は、次の4つがあります。詳細な場所や情報は、下記の地図及びリンクをご確認ください。
鵯越墓園管理事務所(南門)の北側山頂に、昭和7年12月に開眼式をおこなった大仏(高さ11.7m、鉄筋コンクリート製)と鐘楼(高さ10m)があります。
鵯越墓園南門付近の市道夢野白川線(旧西神戸有料道路)の植え込みに「史跡 鵯越の碑」が建っています。
園内墓参バス停留所「(21)新芝生北」の駐車場の南側から山へ入ったところにあります
園内墓参バス停留所「(17)鵯越合葬墓」と「(18)もくれん」の間で、高尾山(標高403.2メートル)の入口にあります。
バス道から上り坂へ入ると、高尾地蔵院の地蔵のそばに、馬つなぎの松の根の跡があります。松はすでに枯れたため伐採されて、根だけが残っています。
鵯越墓園の史料や文献は、神戸市文書館のホームページでご覧ください。