
横浜と並び西洋式下水道としては日本最古。現在も供用されているという意味できわめて貴重。
竣工 |
明治5年(西暦1872年)頃 |
所在地 |
神戸市中央区 |
用途 |
下水道、雨水管 |
登録
(登録年) |
土木学会選奨土木遺産(2002)
国登録有形文化財(2004) |
設計図によると、円形管(口径900ミリメートル、2条、延⾧合計817.3メートル)と卵形管(口径460×600、4条、延⾧合計1,072.6メートル)で構成されています。
煉瓦造であり、使用された煉瓦は明石方面で焼かれた国産品です。
約5%(約90メートル)が現存しており、今も雨水管渠として機能しています。
現在も現役のこの下水道は、当初、雨水と家庭雑排水を排除するために設けられたもので、近代下水道としては横浜外国人居留地のそれとほぼ同時期(明治4~5年)に建設されたわが国最古のものです。
開港場の一つになった神戸外国人居留地の都市計画の一環として、イギリス人技術者J.W.Hart(西暦1836年から1900年)が設計・施工しました。
欧米で産業革命による急激な都市人口の膨張、衛生環境の悪化、コレラ等の悪疫の流行から、近代下水道の整備が積極的に進められました。そこで日本においても都市に近代下水道が整備されました。
日本人の居住する神戸市街地では明治25年(西暦1892年)に雨水排除を主目的とする下水道が完成しました。しかし、し尿は、居留地も含めて、肥料として農家に引き取られる時代が続きました。
江戸時代に栄えた兵庫津に隣接するとはいえ、旧居留地は未開の地でしたが、Hartの都市計画により近代都市が生まれ、その後国際港都神戸へと発展します。
現在は国指定重要文化財の第十五番館横の歩道に公開展示が行われており、兵庫県南部地震で被災しましたが復元されています。
神戸大丸百貨店東側の明石町の歩道にある矩形のマンホールの蓋を開けると、イギリス人技術者J.W.Hartが設計・建設した煉瓦巻円形下水道が顔をみせます。
下水道の一部は現在、国指定重要文化財の第十五番館横の歩道に公開展示されています。
旧神戸居留地十五番館

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