灘のまちのもう一つの顔が海と港です。世界とつながって物流の拠点として活発な動きが見られ埠頭。臨海部に集積し、日本の近代産業を牽引してきた工場群。まちと新しい港を結ぶ近代的な橋はそれだけ絵になる風景を描き出しています。潮風、かもめ、クレーン…かつて酒蔵や砂浜があったところに今を生きる港は近代神戸を支えるにはなくてはならない頼もしい顔となっています。
神戸製鋼所工場群
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明治38年(1905年)、脇浜(中央区)に誕生した神戸製鋼所は、昭和32年(1957年)に高炉を灘浜に建設することを決め、神戸市と協力して灘区の丸山や天神山の土を削って埋め立てを進めました。昭和34年(1959年)高炉が完成し、それまでの平炉圧延メーカーから銑鋼一貫メーカーへと飛躍をとげることになりました。
新在家運河
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神戸製鋼所が灘浜に工場を建設する時に埋め立てを計画し、近隣醸造メーカーへの水質保全を考慮し、陸から少し離して埋め立てを行い、運河を作りました。昭和39年(1964年)の完成。その距離は1.6kmにおよびます。周辺は、区民の憩いの場としてインターロッキングによる舗装や休憩用ベンチを配したりなど、ウオーターフロントのプロムナードになっています。
灘浜大橋
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平成5年(1993年)に完成した長さ400mの世界最長のV脚ラーメン橋。航路条件の確保と取付道路の縦断勾配を小さくすることなど経済性及び施行性を考慮しています。スマートな橋桁とV字脚の織りなすシルエットは、みなと神戸の景観とよく調和しています。
摩耶大橋
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輸出専用埠頭として新しく整備された摩耶埠頭と新港第8突堤を直接結ぶ連絡橋で、昭和41年(1966年)に完成しました。橋長210m、車道幅員は二輪車の通行も考慮して片側4.5mの2車線とし、両側に1.5mの歩道があります。斜張橋の美しいシルエットが印象的です。
摩耶埠頭
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対外貿易専用の近代的大型埠頭として、昭和34年(1959年)に着工し、約8年の歳月をかけて昭和42年(1967年)に完成。現在の鶴甲からベルトコンベアとダンプカーで運んだ土砂で埋め立てられました。水深10~12mの岸壁に10のバースを持つ神戸港近代化のシンボル。埠頭内にはコンテナヤードやガントリークレーンがあり、資材、運送など港湾関連業者が集まり、神戸の港湾事業を支える埠頭の一つとなっています。